生意気にも、私は自分ではものすごい善良な人間だと信じていたし思っていました。
それは優しい自分である、愛らしい物に手を差し伸べる、博愛心があり、愛情を一杯持っている、とても人間らしい人だと自惚れていたのです。
しかし「それはちょっと違うのではないか?」という自分への疑問も持つようになりました。
私は何事にも優しさを求めていました。
優しさが相手に感じられると、すぐにその人を信じ愛していたのです。
でもちょっと相手に違うものが感じられ、見つけると、その人を避けていたのです
。
しかし、これが本当の優しさなんだろうか?
自分では訳がわからなくなってしまったのです。
それには多くの理由があったと思います。
私は小学四年生の時から、家の仕事の手伝いをしていました。それは新聞配達や新聞売りだったのです。
自分からしたいと言うのでもなく、親が決めたことで逆らえなかったのです。
ある日、父親に起こされ、私は深い眠りから覚めました。
早朝に起こされ、自転車に乗れない私は父親が運転する自転車の後ろに乗せられ、右腕には新聞を乗せる板を持ち、左腕には今日売る朝刊を抱えていました。
そして家からかなり離れた場所に連れて行かれ、そこで新聞売りをしていました。
その大阪市 南津守 の場所は、当時鉄鋼関係が繁盛していたので、その関係者の人が沢山来られている交差点の、とある家の軒先でした。
当時、市電が走っていた時でした。本当に鉄鋼労働者が多かった所です。その労働者のために、その労働者のお金目当てのために、私は連れて行かれたと考えることが出来ます。
父親から私に何の説明も無く、急に一人ぽっちで新聞を売らなければならなかったのでした。
そして父は私を残したまま、さっさと店に帰って行くのです。
私はその後姿を見ながら、寂しく思ったものでした。本当に不安でした(本当に心細かった)。
本当に怖かった。
ただただここから離れたらいけないと思っていました。逃げたい気持ちが大きかったですね。
でもまた、私は「この新聞を売らなければならない」という義務感も持っていました。
父や兄が私を迎えに来てくれるまで、私はけな気に一生懸命新聞を売っていました。
一時の寂しさ、時には悲しさを心に感じていたんですが、新聞を売っていると不思議に忘れるものです。
でもその現実に慣れるまでには時間が掛かったのも事実でした。
しかしその「店の子供」としての義務感は、今でも持っています。
しかし「店の子供」としての義務感は段々薄れて行きました。
また店に来て新聞配達をしている他の子供達には給料が与えられ、私には一銭もお金はくれなかったのでした。小遣いも貰ってはいなかったのでした。
そのお金のことに不満を持つように成ってきたのです。
でもそれは両親には言えなかったのです。
それには理由がありました。
私は店のお金をしょっちゅう くすねていた からでした。
くすねるとは、お金を盗んでいたという事です。
そう平たく言えば、盗人・泥棒をしていたのでした。
それが小さい時の小銭から始まって、1000円札まで手を出していました。
お金を盗んでいるのに、小遣いが欲しいとは言えないでしょう。その心の葛藤がもうすでに存在していたのです。
本当にこの時に早く、「自分は勝手な人間だ」と気が付いていたら、と思います。
でもこの自分勝手な私の心は、小遣いが貰えないという不満だけを主張する心の持ち主でした。
だから、父が一生懸命働いて儲けたお金をくすねてしまっていても、それを悪い事だとは思えない考え方でした。
自分は何も貰っていない。何もしてもらっていない、だから・・・・。
逆に自分は父にしてやっている、という考え、感覚を身に付けてしまいました。
「「何で、報酬もくれへんのに、なんで配達せんといかんのや。もう嫌や」」。
そうして反抗して行くようになりました。中学生の時です。
一度父が私のそのような態度に腹を立てて、殴りかかって来た時がありました。
その時に私は瞬間にその拳骨を避け、逆に殴り掛かる格好をしてしまったのです。自分でもビックリしました。反射的にそうなってしまったからです。
それからです、父は私に関心が無いような素振を見せて来ました。
その時は下の姉と一緒に怒られていた時でした。
心の葛藤、それをハルマゲドンといいます。 善と悪の戦い・・・・。
これは誰にでもあるし、無ければ人間ではないでしょう。
あくまで心の中の葛藤。 そしてその心は何を選ぶのか。
それが問題なんだと思います。
自分は何を収穫し、そしてこの世を去って行くのか。
そしてどの様な種を蒔いて行くのか。
その蒔いた種が、どの様に育って行くのかを見届ける。
それもこの世を生きる人の義務でも、責任でもあります。
あなたが蒔く種がこの地球を潰してしまうかもしれない。
あなたが蒔く種は人の心を安らかにするのかもしれない。
あなたの蒔く種が人の心を強くさせるかもしれない。
そしてあなたの心は、何を求めているのでしょうか。